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うつ病で食欲不振の家族がある日突然食べられるようになったわけ

うつ病で食欲不振の家族がある日突然食べられるようになったわけ心の悩み・人生
自己紹介

うつ病になると食欲不振になってほとんど食べることができず、短期間で痩せてしまう人は多いですよね。

過食になる人もいらっしゃいますが、いずれにしても生きていく上で食事は欠かせないものであり、とても大きな存在です。

 

そんな食事が敵のように感じてしまう・・・

 

本人はもちろんのこと、身近で支える家族にとっても、大切な家族がひどく食欲不振になってほとんど食べることができない状態が続くとやはり不安になってしまいますね。

 

私の母もうつ病になった時、食事がほとんどできていませんでした。

 

ところがあることをきっかけに、突然食事ができるようになったのです!

 

その当時のことを母とも話しながら振り返ってみました。

なぜあんなに食べられなかったのが突然食べられるようになったのか、気づきを書いてみましたので、見て下さるあなたの参考になれば嬉しいです。

 

 

母がうつ病に・・・食欲不振で食べられず痩せていくことへの不安

母が自分の心と体の変化に気づきはじめたのは、私が中学3年生になった初夏の頃でした。

嗅覚と味覚がおかしいというのが最初に気づいた変化だそうです。

 

大好きなコーヒーの香りも、不快に感じ、美味しくない・・・

体力維持のためにしていた散歩の最中に、人様の家から漂ってくる食べ物匂いがたまらなくしんどかったと言います。

 

それでも、最初の頃は、スーパーで買ってきたおかずをお皿に盛り付けたり、お味噌汁などつくってくれていました。

 

ですが、食卓に出てくるのはほぼ毎日同じようなお惣菜で、数日に1回はうなぎが出てきたのを覚えています(^-^;

当時は今のようにうなぎの価格は高くなかったようで、簡単に用意ができて豪華に見えるのでうなぎばかり選んでいたのかもしれません。

 

 

今はうなぎ大好きなのですが、高いし、そう頻繁には食べられません。

ですから、うなぎを食べる日はすごくうれしいのですが、当時は「違うものも食べたいな・・・」と正直心の中で思っていました。

 

でも、母がしんどい中どうにか用意してくれているのはわかっていたので、私も他のものが食べたいとはなかなか言えず・・・

 

出てきたうなぎを美味しく食べるため、自分でオーブンで焼いてみたりさりげなくいろいろ試行錯誤していました。

 

やがて母は、スーパーでおかずを買って盛り付けるという作業さえも、徐々にできなくなっていきました。

あんなに食べることが好きだった母が、ほとんど食べようとしない・・・

体重は半年で15キロ減り、毎日姿を見ていてもわかるくらい明らかに痩せていきました。

大好きだった食べ物もほとんど食べられず、どんどん痩せていく母を見ていると、とても心配でしたね・・・

 

 

うつ病は、食事を変えれば治りますという情報もよく目にします。

しかし、そもそも食べられるものがほとんどないので、私たち家族も本当に困りました。

 

 

うつ病になって食欲不振の母に私がつくっていたもの

当時私は中学生。

お菓子や、簡単なカレーやからあげ程度のものはつくっていたものの、料理の基本もわからず、レシピのレパートリーもほとんどありません。

 

野菜の煮物くらいしか思いつかないのです。

というか、野菜の煮物をつくった記憶しかありません。

母がつくれなくなってからの食事をどうしていたのか、実は私ほとんど覚えていないのです。

母が調子をくずしてから約1年自宅で過ごし、その後入院1年半あったので、かなりの期間母は食事の用意ができない状態だったのですが、その時の食事のことがほとんど思い出せません。

 

父が休みの日は、焼きそばをつくってくれたり、お寿司屋さんで納豆巻を買ったり、ケンタッキーのチキンを食べたような記憶はあるのですが・・・

 

 

ところが、父に聞いてみたところ「けいちゃんが毎日食事用意してくれてたよ。仕事から帰ったらなんやかんやつくったもの出してくれてた。」と言うのです。

 

しかも意外と美味しかったそうで・・・

本当に私覚えていないんですけど。

 

母に聞くと、入院するまで毎朝私はパンケーキを焼いていたそうです。

そのパンケーキは母も食べることができたようで、それが命を繋いでくれていたと話していました。

私なりに、必死で母が食べられるものを探していたのだと思います。

 

日中私は学校に行っていたので、昼食は母1人で、納豆とご飯を食べていたそうです。

薬だと思って、無理やりねじ込んで食べていたと言ってました。

 

私自身は一体何を食べていたのか。

本当に何を食べていたのだろう・・・

でも、母が食べられないのに自分だけ食べられないという気持ちはあったように思います。

最近になって私は母に、

「食欲不振だった時、家族がお母ちゃんに食事を合わせてくれる方が良かった?」

と聞いてみたことがあります。

 

すると母はこう答えました。

「いや~、やっぱりそれはちゃんと好きなもの、しっかり栄養あるもの食べててほしいよ~。そんなん、お母ちゃんに合わせて食べててみんな痩せてしまったら、余計気になるわ。」

そうですね(^-^;

 

私がもし食欲なくて食べられない状態だとしても、やっぱり周りの人にはちゃんと食べていてほしいです。

とことんしんどい時は、家族が食事食べられているかを考えるだけの余裕はなくなるかもしれませんが・・・

 

 

 

食べ物が敵に見える・・・食欲不振がひどかった母の想い

母は当時、匂いにとにかく敏感でしたね。

食べ物が敵にしか思えなくて、なければ良いのにといつも思っていたそうです。

また、家族に(特に私に)食事をつくることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいだったとも言います。

母は決して料理が得意な方ではありませんでした、

それでもうつ病になる前は、からあげやハンバーグ、コロッケなどいろいろとつくってくれていておいしかったのです。

買物だって元気に行けていた。

 

以前は当たり前にできていたことが、できないのはどんなに辛いことなのでしょう・・・

食事をつくろうにも、何をどうして良いか手順が全くわからなくなったそうです。

 

母は、一生懸命料理する私の様子を見ていると可哀想になり、何もしてあげられないと言う気持ちで辛かったそうです。

入院している最中は、私が家で一体何を食べて過ごしているのか、痩せてはいないかということばかり気になっていたと話していました。

 

 

 

食欲不振がひどかった母が突然食べられるようになったわけとは?

食事が食べられるようになったのは、2回目の入院当日でした。

母は、実は2回入院していて、1回目の入院はちょっと療養っていう感じの入院だったのです。

「こんなところに入院しても仕方ない」と思い、毎日病棟で過ごしていたそうです。

 

そして、大した改善もなく、入院して1カ月ほどで退院に。

 

しかし、それから8カ月ほどした時、自傷のため再度入院となりました。

 

 

2回目の入院となった日は、「けいちゃんにご飯をつくってあげないといけない、でも休みたい気もする」など考え 医師や看護師の前で、いつまでもいつまでも泣いていたようです。

心理士さんに、「ここの(病棟の)環境に馴染むことが大切」と母は言われたのですが、 周りには精神的にしんどい人たちがたくさんいます。

ですがら、「こんなところに馴染んだらもっと悪くなる」と思ってしまったと言います。

 

ところが、入院当日の夜、ホールに出てみんなと椅子に座り、目の前に食事出されると、不思議なことに食べられてしまったんだとか!

半年以上もほとんど食べられなかったというのに、突然食べられたのです!

 

その時のことを母はこう振り返ります。

 

「周りには、たくさん精神を病んだ患者さんがいて、こんなにも心がしんどい人がたくさんいるのか、みんな頑張ってるのだ、と思うと少し安心した。料理するのは苦しかったし、つくらないといけないけど、つくれない自分に情けなさを感じていた。だから、入院することでつくることから物理的に解放されたことは大きかったと思う。食事が食べられなくてもいつか食べられる。ただ、やはりずっと食べられないでいると、栄養も偏り体重も落ちるので、一層体調が悪くなる。そんな時は、入院など環境を変えることも1つかもしれない。」

 

1回目の入院の時は、食べられなかったのですが、2回目の入院では食べることができました。

その違いは何だったのでしょうか?

 

2回目の入院の時は、しんどさが極限まできていました。

自宅にいることが、今はもう無理という状態になりました。

 

そして母は、今の現状の中でもがくことをやめ、流れに身を任せた時、

「食べなければいけない」

「家族に食事を用意しなければいけない」

「でも休みたい」

という葛藤から解き放たれ、食べることができるようになったのではないかと私は考えます。

 

 

まとめ

私は母が食べられなかった当時、「母が食べられないのに私だけ食べられない」という気持ちがありました。

ですが、母の方は私の食事が気になり、痩せてちまうのではないかということが心配で仕方なかったと言います。

ですからあまり母に気を遣い過ぎず、私は私の食べたいものをもっと食べたら良かったかなと思います。

そうすれば、母は私に美味しいものを食べさせてあげられないという風に思わず過ごせたかもしれないですね。

 

また、「食べなければならない」「つくらなければいけない」など、自分を縛る考えがあることを認め、手放すことは本人しかできないことです。

しかし、家族は本人が安心して、療養に専念できるように支援していくことはできるかと思います。

 

たとえば入院などで、強制的に休める環境にするのも1つだと思います。

そして、食べられないという問題にばかり目を向けるのではなく、母がどんな想いを持っているのかに、もう少し耳を傾けることができていると、もっと適切な関わり方ができていたかもちれないなと今思います。

 

読んでいただきありがとうございました。

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